多くの人は投資リスクを怖がります。
株価が下がったら損をする、資産が減るかもしれない──
そう考えると投資を避けたくなるのは自然な感情です。
ですが本当に怖いのは投資リスクなのでしょうか。
実は見落とされがちなリスクが労働リスク、つまり 働けなくなるリスク です。
人は誰しも加齢や病気、怪我、あるいは環境の変化によって、いつか働けなくなる日が訪れます。
労働収入は有限であり、身体的限界に左右されるのです。
一方、投資は時間を味方にすれば複利で資産を育て、自分が働けなくなってもお金に働いてもらう仕組みを作れます。
本記事では、労働リスクと投資リスクの本質的な違いを整理し、資産形成において長期投資がなぜ欠かせないのかを解説していきます。
投資リスクと労働リスクの違いとは?
投資初心者が資産形成を考えるとき、最も不安に感じるのが投資リスクです。
株価の下落や景気の悪化で資産が減ってしまうのではないか、と考えると一歩を踏み出しにくいのは当然です。
しかし、実は投資リスク以上に注意すべきものが労働リスクです。
つまり、将来的に働けなくなるリスクです。
まず、投資リスクは基本的に一時的なものです。
株価は上下を繰り返しますが、長期的に見れば世界経済の成長とともに回復していく傾向があります。
過去の歴史を振り返っても、戦争や金融危機を乗り越えてインデックス市場は右肩上がりを続けてきました。
そのため、20年・30年と長期で投資を続ける限り、短期的な価格変動はそれほど大きな問題ではありません。
一方、労働リスクは不可逆的で深刻です。
人間は必ず加齢とともに体力や集中力が落ちていきます。
病気や怪我によって突然働けなくなることもあります。
収入の柱を労働収入だけに頼るのは、将来的に不安定な道を歩むことと同じです。
特に、60歳以降も働き続けることは体力的に難しく、会社員も自営業者も同様に労働リスクから逃れることはできません。
つまり、投資リスクは回復可能であるのに対し、労働リスクは避けられない現実です。
資産形成においては、投資を怖がって行動を止めることこそが最大のリスクと言えるでしょう。
長期投資を通じて自分が働けなくなっても資産が働き続ける仕組みを作ることが、労働リスクに備える最良の方法なのです。
なぜ人は投資リスクを過大評価するのか?
多くの人は投資は危険だと考え、投資リスクを過大に恐れます。
その一方で、病気や加齢によって働けなくなる労働リスクは軽視されがちです。
では、なぜ人は投資リスクばかりに目を向けてしまうのでしょうか。
第一に、人間の心理的特性である損失回避バイアスが影響しています。
心理学の研究によると、人は利益の喜びよりも損失の痛みを強く感じる傾向があります。
証券口座の残高が減ると、実際には一時的な評価損であっても大きな損失と認識してしまい、不安や恐怖が増幅するのです。
第二に、投資リスクは目に見える数値で表れるのに対し、労働リスクは目に見えない未来の出来事であることも要因です。
株価の下落は毎日ニュースやアプリで確認できますが、健康を失うリスクや老後に働けなくなる現実は可視化されにくいため、実感を持ちにくいのです。
第三に、日本特有の文化や教育背景も関係しています。
日本では長らく投資=ギャンブルというイメージが強く、金融教育が十分に行われてきませんでした。
その結果、投資経験がない人ほどネガティブな情報だけを信じやすく、投資リスクを過大評価してしまいます。
しかし、冷静に比較すると、投資リスクは時間を味方にすれば回復可能ですが、労働リスクは誰にでも訪れる不可避の現実です。
投資リスクを恐れるあまり、資産形成を先送りすることこそが、将来の生活を不安定にする最大のリスクなのです。
身体的限界と長期投資の重要性
資産形成を考える上で忘れてはならないのが、人間には必ず身体的限界が訪れるという事実です。
私たちは20代や30代の頃には労働によって収入を得られますが、年齢を重ねるにつれて体力や集中力は確実に衰えていきます。
病気やケガによって突然働けなくなることもあり、労働収入は決して永遠に続くものではありません。
これは、誰もが避けられない労働リスクです。
一方で、投資は自分の身体的能力に依存しません。
資産があれば、自分が休んでいる間も、寝ている間も、お金は世界中の市場で働き続けます。
これこそが資産に働いてもらうという考え方です。
特に長期投資は、時間を味方にして複利の力を最大限に活かせる仕組みであり、労働リスクに備える最も現実的な方法となります。
例えば、20代から毎月一定額をインデックスファンドに積み立てれば、30年後・40年後には大きな資産が形成されます。
これは、老後に働けなくなったときの生活費や予期せぬ医療費をカバーする経済的な保険となります。
労働だけに依存していると、収入が途絶えた瞬間に生活が立ち行かなくなりますが、長期投資によって育てた資産は、自分の代わりに働き続けてくれるのです。
つまり、身体的限界は誰にでも必ず訪れるため、労働収入だけに頼ることは危険です。
だからこそ若いうちから長期投資を始め、働けなくなる未来に備えることが不可欠です。
長期投資は単なる資産形成手段ではなく、将来の自分を守るためのライフラインと言えるでしょう。
批判的な人の意見とその論理
身体的限界に備えるために長期投資を行うべきという考えは合理的に思えますが、批判的な立場からは異なる意見も存在します。
まずよく挙げられるのが市場リスクは常に存在するという主張です。
過去の株式市場は長期的に成長してきたとはいえ、今後も同じとは限りません。
人口減少や経済の停滞、地政学リスクなどが複合的に影響すれば、期待通りに資産が増えない可能性は十分にあります。
つまり長期投資=安全という保証はどこにもないという論理です。
次に、投資をするには余裕資金が必要という指摘があります。
多くの家庭では住宅ローンや教育費で手一杯で、投資に回す資金を確保できないのが現実です。
いくら長期投資が理にかなっていても、資金を捻出できなければ実行不可能です。
そのため投資をすれば安心という主張は一部の人にしか当てはまらないという批判です。
さらに労働の価値を過小評価しているとの声もあります。
労働は収入を得る手段であると同時に、生きがいや社会とのつながりを生むものです。
スキルや専門性を持つ人は、身体的にフルタイムで働けなくなってもリモートワークや軽労働で収入を得られる可能性があります。
よって労働収入が完全に途絶えるという前提自体が極端だという見方です。
最後に、投資は心理的に辛いという批判も根強いです。
値動きに一喜一憂し、暴落時には不安から継続できない人が多いのも現実です。
理屈の上では長期投資が正しくても、精神的に続けられないなら意味がない、というのがこの意見です。
このように批判的な立場では、未来は不確実である、誰もが投資を継続できるわけではない、労働には収入以上の価値があるといった現実的な制約を重視します。
長期投資の重要性は揺るぎませんが、それを盲信せず、労働と投資のバランスをどう取るかが課題と言えるでしょう。
まとめ
いかがでしたか?
人は投資リスクを過大に恐れる一方で、誰にでも訪れる労働リスクを見落としがちです。
身体的限界や病気・ケガによって働けなくなる日が必ず来るにもかかわらず、労働収入に依存する生活は非常に不安定です。
長期投資は時間を味方にし、複利で資産を育てることで、自分が働けなくなった未来に備える最も現実的な手段となります。
一方で批判的な意見も存在し、市場リスクや資金不足、心理的ストレス、労働の価値などを理由に投資に慎重な姿勢を取る人もいます。
重要なのは、投資と労働の両方のリスクを理解し、資産形成を通じて将来の自分を守る仕組みを作ることです。
長期投資は単なる資産増加の手段ではなく、生活の安定と安心を手に入れるための戦略であると言えます。
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